当店も老舗とは言わないまでも、年数だけはそろそろ
中堅と言っても良さそうなところまで来ました。
まぁ歳を重ねると柔軟ではなくなるんですね。
今回も名前やそれに準ずることに着目です。
「ロタラ sp. アンナミカ」
見た瞬間、「なんじゃこりゃ?」と言う感想しか出ない
名称です(笑)
すみません、アンナミカは地名ではありません。
人名ではありますが(笑)
誰が付けたのかは知りませんが、確かにベトナムへ
「クリプトコリネ アンナミカ」を見に行った時に
アンナミカの自生する河川にロタラ ロトンジフォリアは
ありましたし、それは当店で「ナローリーフ ロトンジフォリア」で
販売しています。一般的なロトンジよりやや葉幅が狭く、
赤味は強いタイプです。
しかしながら、このロタラsp.アンナミカがそれと同じか
どうかは見てないのでわからないです。
他にもロタラsp.ベトナムなどもおそらく吉野氏や私由来の
物ですが、こちらもいつの間にか生産されるようになってますね。
確か海外ファームからも来てます。
とにかくこれも、かなりのもやもや度合です。
付けた人に説明してほしいです(笑)
もちろん、納得いけば私もその名称使いますので。
由来知ってる方がいらっしゃれば教えてください。
割と本気で知りたいです。
「~~sp.」
これは結構見かけるので、もう何年も気になってます。
いつの頃からか気になりだして、自分では気を付けるように
してます。その昔、南米便全盛の頃は、多くの種類を
吉野氏が見ていたので割と属名を充ててくれていて、
特に問題なかったのですが、最近は水草以外の植物が
多くなったため、属どころか科以上での範囲が広がって、
種の特定の難しさに拍車がかかっています。
幸い、水草しか知らない私には皆目見当もつかないものを
「この辺の属だろう」と当たりを付けれる若い人が多いの
ですが、それでもやはり植物全般が対象となるため
不明種はちらほら出てきます。
そこで、まぁ私は調べるにも水草の範疇、しかも水草水槽に
使う種類に対してしか脳内データが無く、結局は不本意ながら
シダ植物なら「シダ植物の1種」とか「シダの仲間」と言う
壮絶に抽象的な呼び方をするのですが、まぁこれもまったく
褒められたものでもありません。むしろ範囲広すぎ。。。
といった感じです。ただ、属や科を適当に言ってしまうのも
難ありなので仕方が無いのだと思うようにしています。
あくまで個人的な感覚なので気にならない人は
気にする必要もないのですが、「sp.」を付けるのであれば
属名や科名を持ってこないと変な感じがするように
なってしまいました。。。
ホシクサsp. うーん、響き的に悪くは無いけどそれならば
ホシクサの仲間、ホシクサの1種、エリオカウロンsp.、ですかね。
もちろんEriocaulon sp.が良いでしょうけど厳密に行くと
キリがないので。。。
個人的に商用としてはカタカナ表記が望ましいと思って
カタカナを使うことが多いです。ラテン語の読みは厳密には
間違ってることもあると思いますが、凡そローマ字読みに
プラスして慣用的な読み方を踏襲しています。
あ、いつも適当に書いてるんじゃないですよ(笑)
名前表記1つで数分悩んでることもあります。
モスsp.コケsp.シダsp.ウキクサsp.。。。アクアリウム業界ならば
ウィローモスの仲間でいいと思うんですよね。シダもそうですが、
sp.ってそういう使い方で良いのかな。。。と思うわけです。
極めつけは草sp.あたりですかね。不明種とか、まぁ謎草とかで
良くないですか?
あ、謎草sp.とか。。。sp.要ります??sp.付けなきゃいけない
決まりは無いです(笑)
これは恐らくアクアリウム業界のみの慣例?じゃないかと
思うんです。爬虫類や両生類で、トカゲsp.やイモリsp.、
ヤドクガエルsp.とは書かないんじゃないかな、と。
そもそもあちらは種がわかって入荷することの方が多そう
ですが。
昔、普通の熱帯魚屋さんでトニナが売ってたのですが、
よく見ると「トニナ スペシャル」って書いてあったんです。
数秒考えて、「あ~!sp.=スペシャル、ね(笑)」と
わかったのです(笑)
まぁ、お店によっては微笑ましいですけどね。
本気で草スペシャルならそれはそれで(笑)
続く。。。はず。
2016年2月20日土曜日
2016年2月7日日曜日
「現代」水草レイアウトの限界
私が身を置く水草の世界と対極にあるのがレイアウトの
世界ですが、一時はレイアウトもやらねば。。。と思った
瞬間もあった(思っただけ笑)水草好きの人間が、ある程度
知識のある第三者的視点で今のレイアウトについて
感じるところを挙げてみようかと思います。
私が水草を見るようになった時、山田氏の「アクアート」が
お手本で、水草の配置やレイアウトの考え方を真似たものです。
端折りますが、そうこうしているとFM誌に筒井氏の
オランダレポートが掲載され、あちらのレベルの高さが
紹介されました。そしてニューウェンホイゼン氏の
「Das Wunder im Wohnzimmer」(リビングルームの不思議な世界)の
写真が掲載され、衝撃を受けたものです。
※この邦題は筒井氏がつけたもので、実に良いと思います。
その後、吉野氏の「水草の楽しみ方」に繋がり、
アクアエントゥで、自分の中ではダッチ全盛で、「アクアート」に
魅かれた自分としては「ダッチ」に興味を持つのはごく自然な
流れでした。
そのころからADAの広告も目に付くようになっていましたが
今も変わりませんが、私は水草ぎゅうぎゅうが好きなので、
レイアウト的には興味を引くものではありませんでした。
なので、個人的にネイチャーアクアリウムに目が行ったのは
かなり後でした。
と、まぁこんな流れで醸成されたレイアウトの価値観な上に
途中からはレイアウトは二の次、石や木は水草を植えるのに
邪魔でしかなくなった私が思うところですので、レイアウターの
方は気にしないでください(笑)
言い訳終わり。さて、本題。
結論から行きましょう。「現代」水草レイアウト水槽はもうすでに
「フル ポテンシャル」
だと感じるんですね。つまり伸びしろが無い。
なぜかと言うと、基本的に主役が素材であって水草では
なくなっている部分があります。
もちろん、素材を使ったレイアウトの場合、その配置が
骨格になることはわかります。なので非常に重要な部分で
あり、レイアウトの良し悪しがそこで90%以上決まって
しまうであろうことは理解しているのですが、結果的に
水草の分量があるかないかわからない程度しかない
ことが多いように思います。
例えばヘアーグラス単色の石組だと、水槽の容積に対して
水草の分量が少なくても当たり前です。そうではなく、
もう圧倒的な存在感の素材群に、オマケ程度の水草。
もちろん、そのわずかな水草が在るか無いかによって
全体の印象が大きく左右されることも緻密に計算してあると
いうのも、そこに一塊のウィローモスを置くことによって
レイアウトの出来が雲泥の差になることがあることも
よくよく理解してます。
最終形をイメージして、それに合った素材を集めて
造作することは並大抵の労力ではないというのも
わかります。イメージを脳内で画像にすることと、更に
それを形にすることの難しさも、デザインのプロたちが
安易な方向へ走ってしまうことからも想像を絶する苦悩だと
思います。
ただ、そこはそこなんですね。
水草好きからすると素材の造作は凄いんだけど、肝心の
水草は成長の読めるもの、育成が容易なもの、いつでも
入手できるもの、すなわち既存の種類を既存の用法で
使っていることが殆どなんです。要するに、その場所には
その色・その形の水草があれば、種類は何でも構わないんですね。
なので、石や木の使い方や、それを形にする根気と技術は凄いと
思うですが、「水草に驚くことが皆無」なんです。
やってるはずのものは「水草」レイアウトなんです。
私が想像する水草レイアウトと言うのは水草が主役なんです。
今は水草が素材の極一部で、石や木がメインになっていて
立場が完全に逆転しているように感じます。
今のレイアウターの方々はどちらに力を入れているのでしょう??
そして、近年よく使われる手法?が決定打になりました。
何かと言うと、水草を植えて根付くまでなのか、茂るまでなのか
わかりませんが、
「水を張らずに蓋をして水上葉で育てる」
と言う方法です。
これが普通に行われるようになったと分かった時点で、
水草レイアウトの限界を見たような気になりました。
なぜかと言うと、1つはこちら側の水草界では、水上育成は
「逃げ道」であり「保険」なんです。水中での維持・育成が
手ごわい種類において、水上葉でキープすることが、
とりあえずのロスト回避の手段であり、水質や肥料、苔などの
諸問題から逃げる、いわば「水中育成からの敗走」なんです。
恐らくいろんな意味で効率が良いのだと思います。
しかし水草しかやらない人たちは、今のこちらの世界を
「あんなもん、水草じゃなく観葉(園芸)じゃん。」と言うでしょう。
そういう声もクリプトコリネの水上育成の時代から実際に
聞いてきました。
しかし、水草を水の中で育てずに、初期の大変な期間に
水上育成を行っているということは、知らず知らずのうちに
こちらの世界に一歩近づいているのです。
そうしないと成立しないということは、そこが
「現代」水草レイアウトの限界
と言うことになるのではないかと私は感じてしまうわけなんです。
決して批判しているわけではなく、コンテストと言う限られた
時間の中でミスが許されない状況ではノーミス・ノンストップで
完成させないといけないのは理解しています。そしてそこへの
効率的・合理的な手法として高湿度育成の導入がなされたで
あろうことも想像できます。もちろん「お前が言うな!」と言うのは
承知しております(笑)なので、その辺はどうか寛容に。。。
外野から見て、こういう風に感じるのも、また1つの
側面だと言うことなんです。
「水草」レイアウト水槽において「水草」の存在が素材を生かす
ものでは本末転倒ではないかと思うんですね。それは
「水草」レイアウト水槽ではなく、単なるレイアウト水槽なんです。
水草を引き立たせるために石や木があるべきだと思うのは
今はもう少数派なのかもしれませんね。
世界ですが、一時はレイアウトもやらねば。。。と思った
瞬間もあった(思っただけ笑)水草好きの人間が、ある程度
知識のある第三者的視点で今のレイアウトについて
感じるところを挙げてみようかと思います。
私が水草を見るようになった時、山田氏の「アクアート」が
お手本で、水草の配置やレイアウトの考え方を真似たものです。
端折りますが、そうこうしているとFM誌に筒井氏の
オランダレポートが掲載され、あちらのレベルの高さが
紹介されました。そしてニューウェンホイゼン氏の
「Das Wunder im Wohnzimmer」(リビングルームの不思議な世界)の
写真が掲載され、衝撃を受けたものです。
※この邦題は筒井氏がつけたもので、実に良いと思います。
その後、吉野氏の「水草の楽しみ方」に繋がり、
アクアエントゥで、自分の中ではダッチ全盛で、「アクアート」に
魅かれた自分としては「ダッチ」に興味を持つのはごく自然な
流れでした。
そのころからADAの広告も目に付くようになっていましたが
今も変わりませんが、私は水草ぎゅうぎゅうが好きなので、
レイアウト的には興味を引くものではありませんでした。
なので、個人的にネイチャーアクアリウムに目が行ったのは
かなり後でした。
と、まぁこんな流れで醸成されたレイアウトの価値観な上に
途中からはレイアウトは二の次、石や木は水草を植えるのに
邪魔でしかなくなった私が思うところですので、レイアウターの
方は気にしないでください(笑)
言い訳終わり。さて、本題。
結論から行きましょう。「現代」水草レイアウト水槽はもうすでに
「フル ポテンシャル」
だと感じるんですね。つまり伸びしろが無い。
なぜかと言うと、基本的に主役が素材であって水草では
なくなっている部分があります。
もちろん、素材を使ったレイアウトの場合、その配置が
骨格になることはわかります。なので非常に重要な部分で
あり、レイアウトの良し悪しがそこで90%以上決まって
しまうであろうことは理解しているのですが、結果的に
水草の分量があるかないかわからない程度しかない
ことが多いように思います。
例えばヘアーグラス単色の石組だと、水槽の容積に対して
水草の分量が少なくても当たり前です。そうではなく、
もう圧倒的な存在感の素材群に、オマケ程度の水草。
もちろん、そのわずかな水草が在るか無いかによって
全体の印象が大きく左右されることも緻密に計算してあると
いうのも、そこに一塊のウィローモスを置くことによって
レイアウトの出来が雲泥の差になることがあることも
よくよく理解してます。
最終形をイメージして、それに合った素材を集めて
造作することは並大抵の労力ではないというのも
わかります。イメージを脳内で画像にすることと、更に
それを形にすることの難しさも、デザインのプロたちが
安易な方向へ走ってしまうことからも想像を絶する苦悩だと
思います。
ただ、そこはそこなんですね。
水草好きからすると素材の造作は凄いんだけど、肝心の
水草は成長の読めるもの、育成が容易なもの、いつでも
入手できるもの、すなわち既存の種類を既存の用法で
使っていることが殆どなんです。要するに、その場所には
その色・その形の水草があれば、種類は何でも構わないんですね。
なので、石や木の使い方や、それを形にする根気と技術は凄いと
思うですが、「水草に驚くことが皆無」なんです。
やってるはずのものは「水草」レイアウトなんです。
私が想像する水草レイアウトと言うのは水草が主役なんです。
今は水草が素材の極一部で、石や木がメインになっていて
立場が完全に逆転しているように感じます。
今のレイアウターの方々はどちらに力を入れているのでしょう??
そして、近年よく使われる手法?が決定打になりました。
何かと言うと、水草を植えて根付くまでなのか、茂るまでなのか
わかりませんが、
「水を張らずに蓋をして水上葉で育てる」
と言う方法です。
これが普通に行われるようになったと分かった時点で、
水草レイアウトの限界を見たような気になりました。
なぜかと言うと、1つはこちら側の水草界では、水上育成は
「逃げ道」であり「保険」なんです。水中での維持・育成が
手ごわい種類において、水上葉でキープすることが、
とりあえずのロスト回避の手段であり、水質や肥料、苔などの
諸問題から逃げる、いわば「水中育成からの敗走」なんです。
恐らくいろんな意味で効率が良いのだと思います。
しかし水草しかやらない人たちは、今のこちらの世界を
「あんなもん、水草じゃなく観葉(園芸)じゃん。」と言うでしょう。
そういう声もクリプトコリネの水上育成の時代から実際に
聞いてきました。
しかし、水草を水の中で育てずに、初期の大変な期間に
水上育成を行っているということは、知らず知らずのうちに
こちらの世界に一歩近づいているのです。
そうしないと成立しないということは、そこが
「現代」水草レイアウトの限界
と言うことになるのではないかと私は感じてしまうわけなんです。
決して批判しているわけではなく、コンテストと言う限られた
時間の中でミスが許されない状況ではノーミス・ノンストップで
完成させないといけないのは理解しています。そしてそこへの
効率的・合理的な手法として高湿度育成の導入がなされたで
あろうことも想像できます。もちろん「お前が言うな!」と言うのは
承知しております(笑)なので、その辺はどうか寛容に。。。
外野から見て、こういう風に感じるのも、また1つの
側面だと言うことなんです。
「水草」レイアウト水槽において「水草」の存在が素材を生かす
ものでは本末転倒ではないかと思うんですね。それは
「水草」レイアウト水槽ではなく、単なるレイアウト水槽なんです。
水草を引き立たせるために石や木があるべきだと思うのは
今はもう少数派なのかもしれませんね。
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